『三輪(みわ)の大神(おおかみ)様』御由緒
『三輪の大神様』は、奈良桜井市の三輪山を由縁とした大神様となります。
三輪山は古代より神の山として崇敬されてきた山で、山自体が御神体という大変稀有な霊山です。
三輪山の周辺は初代天皇の神武天皇が即位した地でもあり、日本国の起源とも強い繋がりがある一帯です。元々、神の山である三輪山には数多くの神様が宿っていらっしゃいます。
『三輪の大神様』につきましても、ご自身のルーツを「太古の昔に日本の国造りに参加した神々の一柱である」と述べられています。日本国という国の形が出来始めて以来、多くの神様と共に私たちを見守ってきた神様ということになります。
そのような由縁の『三輪の神様』ですが、では、なぜ『三輪の神様』は故郷である三輪山を離れて、現在は私たちの神殿に鎮座されているでしょうか。すべての始まりは、約70年前に私たちの先代が三輪山へ修行で訪れた時にさかのぼります。

三輪山

三輪山高台から見た大和三山と二上山
三輪の大神様と先代との出会い
三輪山で多くの神々と日本の歴史を見守ってきた『三輪の大神様』は、ある時点から自らの神としての使命を果たしたいと思われるようになりました。その使命とは「この世の人間を助けたい」すわなち『人助けができる神』になりたいということでした。
その『三輪の大神様』の強い思いは、数百年、数千年という人間では図り知れない時間をかけて、神としての神通力を磨くことで、最終的には人助けができるほどの力を宿し、不思議なる神業を身につけるに至りました。
長年に渡る『人助けのできる神』としての修行を全うし、ようやく満足に人助けできると確信された『三輪の大神様』は、その会得した不思議なる神業で人助けをするために、三輪山を離れて人の世に出る決断をなされました。
『三輪の大神様』が三輪山を離れて人の世に出る決断をされたのはいつの時代だったかと言いますと、「現在から数百年前である」とおっしゃっています。
恐らくは日本が江戸時代だった頃と思われます。
さて、このような経緯で、三輪山の山麓に宿っていた『三輪の神様』は、『人助けのできる神』として手足となって働いてくれる人間を探すことにしました。喋る口や動かす手足がない『三輪の大神様』にとって、人助けを代わりに実践してくれる人間が必要だからです。
しかし、神の手足となって人助けを任せられるような人間はそう簡単には見つからなかったそうです。
『三輪の大神様』がおっしゃるには、来る日も来る日も神社境内から木の上から見て「この人ではない、この人でもない」と探していたとのことです。『三輪の大神様』は自分の人助けをするという使命を達成するためには妥協することはせず、数百年に渡って望みの人間を探しました。
探し始めてから数百年経ったころ、現在からさかのぼること約70年前、先代が修行で奈良の三輪山を訪れたときに、『三輪の大神様』は初代を「この人物である!」と見初められました。
そして『三輪の大神様』より神がかりという形で御神託を授かった初代は、この時より神の世界へと入っていくことになります。
自動書記と霊視の力「御神示(おくじ)」
『三輪の大神様』に見初められた初代でしたが、当初は神様の手足となって人助けをするということに気が乗りませんでした。
しかし、半ば強制的に神の世界へと誘われた初代は、その代わりに自動書記と霊視による神霊能力である御神示(おくじ)の力を授かり、人々の悩みを解決するべく『三輪の大神様』念願の神霊相談を始めることに至りました。
『三輪の大神様』の人助けは、人々の生活に密着した悩みを解決することが目的でした。そのためにご相談者の方に具体的な解決策やアドバイスをお伝えする必要がありました。紙に文字を走り書きする自動書記と、目に物事の内容が見える霊視という2つの方法は、相談者の方にも分かりやすくお伝えすることができ好評を得ました。
70年経った現在
初代の神がかりから約70年経った現在においても、世代が代わり次世代に受け継がれて『三輪の大神様』による人助けの使命は続いています。その使命をさらに進めるために、それまでは口コミや紹介だけだった神霊相談を、2019年にホームページを開設して広くどなた様でもお気軽に相談できるようにしました。また同時に相談事務所についても名古屋に加えて東京を開設しました。
全ては『三輪の大神様』の人助けの使命を少しでも達成するためであり、悩んで困っている方の手助けを少しでもできたらという想いで日々邁進しております。
